それは「業務命令」でした
「おまえ、マラソンに出ろ」
この一言が、私がマラソンを始めることになったきっかけです。
- 会社がそのマラソンのスポンサーの一社で、当時、私の所属していた部署が担当だった
- 大会の会場が、私の住んでいた県だった
理由は、たったこれだけです(笑)。
私は小・中学校のマラソン大会では、いつもビリから何番目という成績で(高校にはマラソン大会自体がありませんでした)、それ以降、長距離を走った記憶はまったくありません。
しかも、この大会はフルマラソンではなく「6時間耐久マラソン」。
今にして思えば、フルマラソンよりも過酷な内容でした。
さあ、どうする?
ジムでトレーナーに相談しました「今からでもやめられませんか?」
私が通っているジムのトレーナーにこれまでのいきさつを説明し、アドバイスを求めました。
そして言われたのがこのセリフ。
マラソン未経験の私が、いきなり“6時間耐久”に挑戦するなんて無謀だと思われたのでしょう。
それでも、トレーナーは真剣に向き合ってくれ、トレーニングプランを立ててくれました。
こうして、4か月後の本番に向けてトレーニングをスタート。
内容は主に以下のようなものでした。
1時間のランニング
下半身を中心とした筋力トレーニング
体幹トレーニング
主に土日にジムへ通い、これらのメニューをコツコツと続けていきました。
そして――いよいよ本番の日がやってきました。
さあ、本番。6時間も走り続けるなんて想像がつきません。
ついに、本番当日を迎えました。
ちなみに、あの命令を下した上司は体調不良で欠席。まるで漫画のようなオチです。
会場を見渡すと、周囲にはいかにも速そうな人たちばかり。「自分はどれくらい走れるのだろう」と、不安がよぎります。今思えば、シューズの選び方も適当でした。
そして、いよいよ大会スタート!
最初の2時間くらいは、何とか周りについていけた気がします。
ですが、その先の記憶があまりありません。途中、水分や栄養の補給をした記憶はあるのですが、足が痛くなり、どこからか走ったり歩いたりの繰り返しに。
そして、ようやくゴール……というか、6時間が経過して大会終了。
このときは、30キロを少し超えるくらいの距離を走った(歩いた)ようです。フルマラソンの距離も走っていません。
ヨレヨレの状態で、会社のメンバーと記念写真を撮って帰宅しました。
筋肉痛は何日残っていたのか、思い出せないほど。
貴重で、そしてちょっぴり苦い経験でした。
でも、これで終わりではなかったのです。
終わりの始まり。6時間耐久マラソンで全てが終わるはずだった。
長いトレーニングの日々から解放される――そう思っていたのです。
しかし、気づけばランニングやトレーニングは続けていました。
そして、欲が出ました。
「他の大会にも出てみたい」
そうして、会社の地元で行われるハーフマラソンや、地元の10キロ・16キロマラソンに次々と参加。
おかげで、よれよれになりながらも制限時間内に完走できました。
そして――次に狙うは、42.195キロ。
さらなる欲が、静かに膨らみはじめたのです。

